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掲載記事


2016年度特別研究会「熊本地震の実相報告と 復興への手がかり

取材いただきましたHOME'S PRESSさんより許可をいただき、テキスト部分を掲載しています。

元記事
HOME'S PRESS(株式会社:ネクスト)
「巨大地震頻発に襲われた熊本で起きたこと、続いていること」
                 
住まいと街の解説者 中川寛子
記事URL:http://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_00531/
掲載日時:2016年 08月09日 11時07分



巨大地震頻発に襲われた熊本で起きたこと、続いていること

                                                                        住まいと街の解説者 中川寛子

新しい建物でも地盤によっては倒壊した

熊本地震の発災から3ヶ月余の2016年7月17日。都内で密集市街地の住環境が抱える諸問題に関して、そこに住む人の暮らしの視点から解決手法を調査研究、提言などを行うNPOり・らいふ研究会の主催で「熊本地震報告会」が行われた。発災直後に比べれば報道される量も減った熊本地震だが、現地はまだまだ復興には遠い状況にある。熊本の今、被災を通じて分かった問題点などを聞いてきた。

最初の報告者は熊本日日新聞地方部に勤務する清田秀孝氏。清田氏は地震の概要を解説、被災状況の取材を通じて感じた問題点を指摘した。ひとつは危険な急傾斜地として指定されていなかったにも関わらず、崩壊した住宅地の存在。東日本大震災の時にも液状化しないとされていた宅地が液状化した例もあり、現状のハザードマップや危険予知情報にはまだまだ不備があるということだろう。

一般には建物の強度は新耐震基準以前、以降で異なり、新しい建物なら安全性が高いと思われている。だが、熊本地震では同じような新しい建物が並んでいるエリアで、土台からばっさり切れるように倒壊した例があった。一方でほとんど影響のなかった建物があることを考えると、地震に対する強さは建物単体だけで担保されるものではない。ほんのちょっとの地盤の違いが倒壊するか、しないかを分けたのだろうと清田氏。その通りである。

もうひとつ、興味深かったのは自治体の人員について。被災地には1995年の合併特例法に始まり、2005〜2006年にかけてピークを迎えた、いわゆる平成の大合併で職員が大幅に減った自治体があった。しかも、さほどの被災ではないように思われたため、他自治体からの支援が少なかったケースがあったという。結果、マンパワーが足りず、過労死する職員が出たそうで、清田氏は自治体は災害対策としてある程度の人手を確保しておく必要があるのではないかと発言した。合併で自治体は広く、職員は少なくなっている。回りかねる手をどう確保するか。熊本に限らず、どこの自治体でも考えておくべき点だろう。

熊本城だけでなく、城下町も崩壊した

瓦が落ち、ほんの一部の石積みだけで平衡を保っている熊本城の惨状は多くの人の耳目を集めたが、崩壊したのは城だけではない、と市内の様子を報告したのは熊本在住の都市計画家、富士川一裕氏。古くからの城下町で明治時代からの建物が多く残る新町、古町で大きな被害が出たというのである。富士川氏が撮影した写真の中にはぺっちゃんこという言葉以外が思いつかないほどの倒れ方をしている建物もあり、地震の凄まじさが伺える。

発災から17日後には文化財等の被害を調査するため、日本イコモス(国際記念物遺跡会議)国内委員会の18人が熊本を訪れ、被災した文化財等の保存に向けた緊急アピールを出しているが、注目したいのは「城は残っても、城下町は消える」という言葉。知られている存在だけに熊本城には公的な支援はもちろん、民間からの募金も期待できる。だが、城下町の、個人所有の建物にはそうした手厚い支援は行われにくい。街の歴史を後世に残せるかどうか、イコモスはこれを「極めて深刻な瀬戸際」と評しており、事態はまさにその通り。城下町が少しでも継承されていくことを祈りたい。

富士川氏の発言でもうひとつ印象的だったのは、海の上の船のように揺れる家を見て、土地を所有することに疑問を感じたというもの。人が土地の上に敷いた境界線など、土地が揺れて割れたら無くなってしまう。だとしたら、土地は人のものではなく、我々に与えられているのは使う権利だけなのではないか。私たちは土地を不動産、動かないものと思い込んでいるが、巨大地震が土地を動かし、滅失させてしまうとしたら、そもそもそこに絶対の価値を置いて良いものか。考えさせられる。


避難所運営にも地域差、問題も

3 人目の発表者は横浜市立大学国際都市学系准教授の石川永子氏。東日本大震災後に作られた政令指定都市間で応援受援する仕組みを利用し、現地で避難所の運営についての支援に入ったとのことで、そこで感じた問題点などが主な発表内容だった。これまで地震の少ない地域と思われていたことや、2012年に政令指定都市に移行し、組織、防災体制などが固まりきっていなかったことなどの影響もあり、熊本市内の避難所は少なからず混乱していたとか。

避難所の運営は場を提供した学校の校長先生や先生などが担当、長期に渡って責務を担ったケースが多かったそうだが、興味深かったのは運営主体によって避難所の状況が異なっていたという点。例えば被災から2〜3週間後でもマットレスが届かず、段ボールを敷いて寝ている避難所もあれば、きちんと寝具が届けられた場所があるなど、ばらつきがあったというのである。品物自体が不足していたわけではなく、状況を行政に伝える人がいるか、いないかということのようで、避難所運営もお任せではうまくいかないようだ。

もうひとつ、避難所の衛生、環境面で気になったのは土足での出入り、ペットの同行。元々がオフィスビルのように土足で出入りしていた場所でも避難所となれば、そこが生活の場となる。そこに土足での出入りはどうだろう。また、いくらペットは家族の一員だとは言っても、家族以外の多くの人が暮らす場では何らかのルールは必要かもしれない。

地域によっては日常を取り戻せない、復興には遠い状況も

現地からの3人の報告に続き、中越地震で被害の大きかった山古志村の復興について、災害からの復興には何が必要かといった報告があり、最後は登壇者全員によるトークセッションになった。清田氏の、現状についての「3ヶ月経ち、日常を取り戻したくとも取り戻せない」という言葉が重かった。

清田氏は南阿蘇村、阿蘇市を担当、取材をしているが、以前なら熊本から45分で行けた場所が道路崩壊で迂回ルートが大渋滞。「自分の畑にすら行けない、大きな滞りが続いています」という。また、多くの家屋が倒壊した益城村では瓦礫がそのままになっている地区もあり、街を再生する方向が見えさえしないとも。復興にはおおよそほど遠い状況が続いているわけで、報道が少なくなったからといって忘れてはならないと思う。

最後にメディアの役割について。熊本県では2015年に地域防災計画を策定しており、布田川・日奈久断層帯を震源にマグニチュード7.9の地震が起きた場合を想定している。その数値は死者数を除けば非常に正確で、計画、想定としては非常によくできていた。その一方で熊本県では過去120年間大規模地震が発生していないことから、安全度を過信しており、南海トラフ地震時の「九州の広域防災拠点構想」を打ち出している。それによると配送拠点として熊本空港、大規模展示施設「グランメッセ熊本」(いずれも益城町)を充てる計画だった。

つまり、きちんとした防災計画を作りながらも、実際の対策は用意されてこなかったわけで、その乖離はこれまで報じられることはなかった。メディアはそこに警鐘を鳴らすべきではなかったか。会場からはそうした質問が出た。耳に痛い質問ではあるが、それは大事なポイント。メディアに限らず、自分の住んでいる自治体の防災対策の実際はどうなっているか、もう少し気にするようにしたいところだ。

HOME'S PRESS(株式会社:ネクスト)
記事URL:http://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_00531/
掲載日時:2016年 08月09日 11時07分
 

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